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3.11 東日本大震災から10年

2021.3.11
東日本大震災でお亡くなりになられた多くの方々、被災された多くの方々にご冥福と哀悼の意を表します。
また、被災された方々をはじめ、10年経った今でも復興にむけて多大なご尽力なされる多くの方々に、深い敬意を表します。
 
未曾有の大災害から10年。
震災復興の道を進んだ皆さんの思いと共に、岩手ビッグブルズはその歩みを進めさせていただきました。
困難な状況の中でも、前を向く皆さんから力をもらいました。
10年は過ぎましたが、その月日は多くの方々にとって決して簡単なものではなかったと思います。

私自身、震災当時は新聞記者でした。
震災直後に入った沿岸の様子は今でも記憶に鮮明に残っています。
日常とはあまりにも違う現実に、本当に言葉が出ませんでした。
変わり果てた姿の家族と再会し涙する人、それでも立ち上がろうとする人たち、厳しい状況でも助け合う人たち。
大きな被害に遭いながらも、震災後わずか5日後に一部で再開した三陸鉄道。その電車で取材をした際に、窓の外を眺める1人の少年がいました。「まだ家族が見つかってないんですよね」。その表情、言葉に、何も言ってあげられなかったことは忘れられません。
岩手ビッグブルズに携わった後も、多くの沿岸の子供たちの笑顔に救われました。
試合に勝つことができなかった陸前高田市での試合後、中学生くらいの男の子が「震災後、今日が一番楽しい日でした」と言ってくれました。震災後10年近く経っている中での一言。大きく響きました。

クラブでは、3年前から企業理念に「復興のシンボリックな存在になれるように」と記しています。
2019年12月には被災し解体された、釜石市民体育館のこけら落とし試合も開催させていただき、ほぼ満員に埋まった会場でのあの熱気は、これまでの空間を凌駕するものでした。
アカデミー沿岸校の開校、毎年行っている宮古市での合宿、子供たちへの定期的なバスケットボール教室など、沿岸に寄り添いながら歩みを続けていきます。

岩手県の死者は関連死を含め5144人、行方不明者は1111人。
まだまだ生きたかった人たちがいます。
バスケットボールを通じて、クラブはその思いを胸に刻み岩手県と生きていきます。

代表取締役社長 水野哲志

 
10年前の3月11日に、私自身も、家族、友人、家、会社など、多くの大切なものを失いました。
失ったものはあまりに大きく、10年経った今でも忘れることは出来ません。
しかし、この深い悲しみから、楽しい日常を思い出させてくれたのが「岩手ビッグブルズ」でした。
岩手ビッグブルズの試合を見ている時間が、震災を忘れさせてくれる時間となり、毎週試合を見に行くことが私の日常となっていきました。
大袈裟なことではなく、岩手ビッグブルズとの出会いが、私の人生に幸せを与えてくれました。
2018年から現職に就き、岩手ビッグブルズを通して県民の皆様に幸せをお届けすることを信念に活動をしております。
3年前の陸前高田市での復興祈念試合にて、試合を観戦していた中学生が「震災以降、こんなに楽しかったのは初めてだった」と笑顔で語っていたのが今でも忘れられません。
これからも、一人でも多くの方々に「元気をもらった」「勇気をもらった」と言って頂けるように、
そして「岩手ビッグブルズと出会って幸せになることが出来た」と言って頂けるように尽力していきたいと思っております。
3.11今日という日を、決して忘れず、皆様と共に歩み続けます。

取締役 三浦崇

 
東日本大震災から10年。
当時は高校3年生。今もあの日は忘れません。
岩手ビッグブルズに加入させて頂き、多くの方々から震災時の話や復興への想いを聞く機会がありました。胸を締め付けられる思いと同時に、岩手ビッグブルズの一員として、地域の方々に笑顔や勇気を届けたい思いで活動しています。
10年の今。復興のシンボルとして、岩手ビッグブルズはチーム一丸となり戦い続けます。1人でも多くの方々が笑顔になれる事を信じて、1日を大切に進んでいきます。
次の10年に向けて、復興と共に新たな未来を紡ぐ門出にしていきたいです。
共に、頑張ろう東北・頑張ろう岩手!!!

主将 #16 伊藤良太

 
東日本大震災から10年。
震災によって犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りします。
10年前の出来事ですが、まだ震災当時の記憶はハッキリと残っています。
当時私は会社員1年目。東日本大震災が起きた日は、東京で仕事をしていました。
突然、建物が崩壊するのではないかと思うほどの揺れが起き、そしてそれが長い時間続きました。
どこに避難すれば良いのか、どう行動するべきかが分からず、恐怖で道路に立ちすくむことしか出来ませんでした。
「震源地は東北」という文字を見た時の恐怖と不安は今でも忘れられません。
そして僕が津波の被害を知ったのは、徒歩で帰宅した後でした。
言葉を失いました。テレビをつけると映し出される津波の映像はとにかく恐ろしく、自分の生まれた県で起きている事とは思ませんでした。
それから僕の住んでいた場所は1日ほどでライフラインのほとんどが復旧し、いつもと変わらない生活が始まりました。
そんな生活の中で今離れた場所にいる自分が、生まれ育った岩手県に何が出来るんだろう、と深く考えるようになりました。
そんな時に岩手県でプロバスケットボールチームが発足する事を聞き、プロのスポーツチームが地元に誕生する嬉しさと共に、バスケットボールを通じて岩手県に貢献できるかも知れないと感じ始めました。
私の中に迷いはなく、「挑戦しよう。そして岩手に帰ろう。」とすぐに決意しました。
ありがたい事に、チームが創設した2011年から2021年の現在まで、岩手ビッグブルズの一員としてバスケットボールを続けてこられました。
10年間の活動の中で、沢山のことがありました。チームがなかなか勝てない時には岩手ビッグブルズの存在意義について考え、時には申し訳ないという気持ちに支配されることもありました。
そんな時、試合やバスケットボール教室での交流、地域のイベントに参加させていただく際の皆さんの笑顔と「頑張れ、応援してるよ」という言葉に奮い立たされ、ここまでやってこられたように思います。
津波の被害を受けた沿岸での試合。その試合に勝利して受けた歓声。バスケットボール教室での子供たちの笑顔や笑い声。
「岩手に帰ってきて良かった」と心から思える瞬間も多くありました。
東日本大震災が起きた年に創設されたこの岩手ビッグブルズで、私に出来ることはまだ沢山あると信じています。これからも必死にがむしゃらに考えながらバスケットボールをしていきたいと思います。
東日本大震災から10年。
これから先もこの辛くて悲しい日を風化させることなく、天災から一人でも多くの命が守られるよう防災について考え、行動していきたいです。

#5 千葉慎也(岩手県奥州市出身)

 
震災から早くも10年が経ち、瓦礫は撤去され、あの時の出来事が風化され始めています。
震災時、沢山のご支援を下さった皆様、本当にありがとうございます。
皆様のご支援のおかげで今日まで来ることができました。
震災当時小学3年生だった僕はまちの変わり果てた姿に唖然とし、何も考えることができませんでした。
そんな中、私たちの手元に届き始めた、応援の手紙、一本のボールペン、食料などが私たちを暗闇から引き上げてくれました。
震災から10年が経ち、今思うことは、
当たり前の日々が当たり前ではないということです。
朝のおはよう、帰りのただいま、その一つ一つが最後になるかもしれないという事実を震災で突きつけられました。この3月11日を大切な誰かを想う日に。身の回りの人たちがいることに感謝して日々生きていこうと思います。
また、これから先の10年、そして未来、僕たち若い世代が新しい未来を作っていく存在なのだと使命感を感じています。
この10年間僕たちを育ててくれた人たちへの恩返しとして、今日10年経った2021年3月11日を新しい船出の日としたいと思います。

通訳 新田壮吾(岩手県釜石市出身)